「価値観の違う人」
みなさん、こんにちは、社会不適合者のテトリスです。
今日は社会不適合者あるある「価値観の違う人に合わせれない」
について書きたいと思います。
1.そもそも「価値観」とは
「価値観 意味」でGoogle先生に質問すると、以下のようなご説明を頂けました。
かちかん【価値観】
物事の価値についての、個人(または、世代・社会)の(基本的な)考え方。「彼とは―が違う」
では、この「個人の基本的な考え方」とはどのようにして形成されていくのか。
自分は「幼少期から中高生までの期間での経験」によるものだと思っています。
人間は生まれた瞬間は「無」です。
そして、だんだんと感情が複雑化していき、経験によって様々なことを考え、
「生物として」ではなく「理性ある人間として」の考えが固まって行きます。
僕は中学校、どんなに遅くとも高校生の頃には、
社会人として生きていく上で必要なことは一通り学んだり、経験すると思ってます。
そして「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、
こういう基本的な考え方というのは、
大人になって周りからやんややんや言われても、そう簡単に変えられるものではないと思います。
別に学術的な根拠を示せるわけではないですが、僕の経験上そうです。
僕自身もそうですし、
友人とかでも、「こういう家庭環境だった」「中高の頃こうだった」という話を聞き、
「確かにこいつがこんな感じなのは納得できるな」と思うことが多々あります。
まあ、おそらくどこかの偉い心理学者の方とかが既に学術的な根拠を示してくれてると思うので、気になる方はググってください。
2.価値観が違う人との関わり方
1で述べた通り、価値観とは若いころの環境や経験によって形成されるものなので、
人によって千差万別で、かつ簡単には変えられないです。
しかし社会生活を送る上では、「価値観が違う人」と関わらなければならない事が必ずあると思います。
そして今から完全なる僕の主観によって、
価値観の違う人と関わらなければならない時の人の対応を3種類に分けたいと思います。
①上手く話を合わせる人
例えその場しのぎだとしても上手く話を合わせられる人です。
相槌とか愛想笑いとかを上手く使えます。
多分、こうあるべきなんだなぁといつも思っています。
イヤミとかではなく、単純に自分ができないので羨ましいです。
②自分の主張を押し通す人
「自分が納得いかない時は分かり合えるまで熱く議論する」みたいな笑
自分の意見をしっかりと持っていて、それを言語化して表現できる、というのは素晴らしい能力だと思います。
ただこのタイプの多くは議論で妥協点を探そうというよりは
「自分が絶対的に正しい」と思い込んでいるので、厄介だし面倒臭いです。
一見喋ってるから社交性が高く見えますが、
「価値観は人の数だけあり、それらは簡単に変えられない」という大前提を理解できていないので、
個人的には一番の社会不適合者だと思っています。
しかも、その自覚がないので終わっています。
これはイヤミですw
③なるべく関わらないようにする人
僕です。
熱く反論もしなければ、かと言って上手く合わせれるわけでもないです。
「価値観は人の数だけあり、それらは簡単に変えられない」と思っているので、
自分と異なる考えを持つ人を悪いとは思っていないし、
かといってどうしても自分の意見を分かって欲しいとかは思ってないです。
ただ自分の意見には拘りがあるので、上手く合わせることもできず、
極力関わらないようにします。
仕事とかでどうしても関わるときは何とかその場を凌ごうとしますが、多分凌ぎ切れてないです。
控えめに言って社会不適合者ですw
次の章では僕がこのタイプを代表して、
価値観の違う人と関わる時、どうすればいいと思っているか書いていきたいと思います。
3.「分かりあわなくていい」という前提
複数の人が集まって、何か一つのことをするという時、
いつも決まって「団結」とか「協力」といった言葉が使われます。
辞書的な意味は置いておいて、日本でこれらの言葉が使われる時には
「理解しあう」とか「助け合う」とか「仲良くする」みたいなニュアンスが含まれていると勝手に思っています。
社会不適合者代表の僕からするとそれは無理です。
何度も書きますが「価値観は人の数だけあり、それらは簡単に変えられない」ので。
じゃあ、「理解できない」から「尊重もできない」のかと言うとそれは全く違います。
むしろ
「そもそも分かり合えない」という事を前提にするからこそ「尊重できる」
と思っています。
なぜなら、自分とは違う価値観を持っている人は
自分とは違うバックグラウンド(これまでの環境とか経験)を持っているから。
自分と全く異なる世界を過ごしてきた人の意見って考えると、
まあしょうがないなと許せるし、むしろ興味深いと思えます。
あと、「こういう人生を送ってきたからこういう考えを持っているのか」って考えるのも面白いです。(少なくとも僕は笑)
「分かり合えないこと」を前提とすることで、違う考えの人と関わるときに
精神的余裕を持てるし、興味深いと思える。
その時初めて、その人の考えやバックグラウンドを尊重できるんではないかと思います。
4.分かり合える人がいるということ
これまで「価値観の違う人」との関わり方について書いてきましたが、
もちろん「価値観の合う人」も存在します。
これを言うのはもう100回目ですが、
「価値観は人の数だけあり、それらは簡単に変えられない」ものです。
にもかかわらず「分かり合える人がいる」という事は
普通ではないこと、ものすごく有難いこと
だと思うわけです。
大袈裟ですが、僕は
「これまで自分に良くしてくれた人たちの時間を背負って生きている」
と思っています。
たくさんの分かり合えない人がいる中、
違う人生を歩んできた誰かが自分のことを理解してくれる。
その人に良くしてもらった以上、
やはり自分の価値観を大切に生きていくべきだと思います。
「自分の価値観を持つ」ことで
「違う価値観の人」ができたり、
それによって嫌なことがあるということも受け入れていく覚悟を持って。
長くなりましたが、本日のまとめとしては、
- 「価値観の違う人とは分かり合えない」と受け入れていくことで尊重することができる。
- 「自分を理解してくれる人」に感謝して、自分らしく生きていくべき
さあ、みんなも~~~~~~
Let's 社会不適合者LIFE!!!!(*´ω`*)